ヨガカラダココロオドル

おおらかに繊細にしたたかにしなやかに豪快にゆるやかに優しくまっすぐに

アーサナへの考え方ががらりと変わった・・・②  

【アーサナへの考え方ががらりと変わった・・・①】からの続き・・・


ここ数ヶ月いろいろ自ら実験したり、レッスンで皆さんを巻き添えにして実験させてもらったりしてますが、
今感じてるのは、

「遊び」「余地」を残した場所
と、
ある程度「意志」を手放した動き方
が、
アーサナという「型」の持ち味を味わうコツ、だということ。


限界ギリギリまで引っ張ったり、限界ギリギリまで力を入れようとすると・・・氣が通る余地が無くなる。
(あくまでも私自身の体感ベースで書いてます。)

意図的に少しだけ緩める=遊びを持たせる、みたいな感じにしておくと、
そこからさらに緩むことができたり、広がることもできるし、
氣が通りやすくなる。


カラダって、自分で認識できている部分はものすごい限られているんだと思う。
お腹に力を入れて!とか、脚を踏みしめて!みたいに、
意志でコントロールしてやろうとすると、
認識しやすいところばかりに負担がかかる。

・・・重い荷物をどこかが一手に引き受ける!というイメージ。

氣功の動きでは、余分な力をこれでもか、というほどに抜いていく。
そうした上で、
力を抜いて、カラダが自然と動かされるようなイメージが生まれる言葉、
例えば、波に運ばれる、とか、風になびく、とか、
自分の意志じゃなく、やむなくそうなってしまうのよね~という言葉で誘導していくと、
偏っていた力が抜けて、その分いろいろな部分が協調してそのアーサナを保とうとする。

・・・これは、重たい荷物をたくさんの人で持ちあうイメージ。


どこかが分かりやすく力んでいる時、「やった感」があるけれど、
そうやってたくさんの人が少しずつ力を出していくと、
全体としては「ラク」という感じ。

結果、「遊びを持たせる」こともやりやすい。

氣が通りやすくなる。

ということなんではないか?と思っているわけです。


アーサナのように、日常ではやらないような型にカラダを持っていくことは、
氣の流れ方を変えて、何かしらの効果を得ようとしているからで、
そこで、充分氣が流れなければアーサナやる意味が無いんだよねえ。


ヨガを始めて10年以上たった今、
ようやくアーサナの心地よさがわかってきました!
(遅っ!!)


category: ヨガのこと

tb: 0   cm: 0

アーサナへの考え方ががらりと変わった・・・①  

アーサナ(ヨガのポーズ)をする時、
私にとって一番難しいところは、
自分にとっての「ちょうどいいところ」を探る
ということだった。

私は以前ダンスをやっていたこともあり、
筋力的にも、可動域的にも、行けるところまでいかないと、やった気がしない、という感覚を持っていた。
これ以上やってしまったら、「型」として美しくない、と思えるギリギリのところまで、カラダを運んでいくのが当たり前だった。

筋力が衰えたり、柔軟性が衰えたりするのが怖い、そうならないように鍛えておきたい、という動機もあったし、
途中で「キツイな~」と思ってポーズを緩めることは、敗北であり、サボりであり、ズルであり、弱さのあらわれと感じてたから。
(キツイことから逃げないように心を鍛えていくことがヨガなんだ、と思ってたところもあった)

こういう感じでアーサナをやってると、
当たり前だけど、あまり心地よくない。端的に、キツイ。
でも、「キツイ!」という感じがあってこそ、だと思ってたところもあったし、
それに、「苦行」って言葉があったりもするから、
間違っているのかも?と疑ったことはなかった。
10年間ずっと。

以前の記事【「アーサナ終わったらご褒美あげるからね♪」 】にも書いたけど、
アーサナの最中はもう、すんごい頑張っていて、
それが終わった時のほっとする解放感を楽しみにしているような状態だったことが多かったなあ・・・。

シンプルに言えば、「頑張り過ぎてしまう」というようなことでしょうが、
自分ではそここそが「ちょうといいところ」だと思ってたんだよねえ。

だから、正直、「キツイ>心地いい」の状態だったので、練習とか本当はやりたくないわけです。
だって、気持ちいいのは最後のシャバアーサナだけなんだもん。

なので、ヨガが好き!と迷いなく断言はできなかった。ヨガを教える立場としては致命的なことですけど。
(ただ、生きていく姿勢として、私にとっては必要、とは思ってた。)


最近、氣功とヨガとの融合実験をするようになってから、
この「ちょうどいいところ」、考え方間違えてたな・・・とわかった。
そもそも、不足感や不安感の埋め合わせをするためにアーサナをやるってこと自体が間違ってたんだよねえ・・・。


②へ続く!!

CIMG1169-2.jpg
本文と全然関係ないけど、夏の真鶴。。。

category: ヨガのこと

tb: 0   cm: 0

クリパルヨガってどんなヨガ?④正しいかどうかは自分で決める  

クリパルヨガの大きな特徴と言われているのが「個を尊重する」ということ。
このスタンスが、クリパルの一番好きなとこ、と言っても過言では無いワタクシ。

それは、「先生は『絶対的に正しい正解』を持ってはいない」と言い換えてもいいし、
「正解をそれぞれが自分で選ぶ」と言い換えてもいいと思う。

ティーチャートレーニングの時、
アーサナの「正しい」やり方を細かく聞きたがる私たち生徒に対して、
ディレクター陣が何度も何度も「それは生徒が選ぶこと」と繰り返してて、
尋ねられる方も、尋ねる私たち生徒側も、「またそれ?!」と正直思ってた(と思う)。

正しいやり方を生徒が選ぶ、ということを当時は全然理解できてなかったんだけど、
今となってはそのことに激しく同意!している私。

もちろん、こないだ書いたプレスポイントとか、アーサナのコツ、というか、押さえておくといいポイントはある。
でも、極端な話、
そのポイントから外れていようが、きっちり押さえていようが、
どちらにしても、その時選んだことからなんらかの体験を得るということがとても重視される。

土台である足元がぐらぐらしてて、入るべき力が入らなかったり、
逆に全身力みすぎていて不安定で苦しかったとしたら、
アーサナの形がどうこうよりも、その不安定さや苦しさに気づくことが、その人にとって大きな出来事になる場合がある。

例えばそんな時、
無理やりカラダに言うこと聞かせようとしたり、他の人と比べて焦ったりすることで、
自分は窮屈でくつろげない、なんだかすごく不快な体験をしたな、
と気づいたとしたら(あくまで一つの例です)、
とても安定感のある伸びやかな状態でポーズをとってた人が「そこで体験した何か」と同じようにものすごく意味深いこと。

そこに優劣は無い。
そして、絶対的な正解は無い。

この「正解が無い」というのが、トレーニングの時はとっても不安で。
トレーニングなんだから、正解教えてくださいよ~~!!って何度思ったことか(笑)。


これって、ヨガ、ということを超えて、生きることそのもののテーマだよなあ、と思うんだけど、
「正解とされているもの」に合わせるのは、自分で何かを見つけたり選んだりしなくていいから、ある意味とてもラクで、
そこに、結構な窮屈感があっても、「ちょっと変じゃない?」とどこかで感じてても、
まあ、それはそういうものなんだから、と目をつぶってしまうことは意外と簡単に無意識にできてしまうものなんだなあ、と思う。

逆に、「あ、今『おのれの正解』と違うことしたわ~」と気づくことの方が、結構大変だったりするし。
『おのれの正解』が、一般的にこうだとされてるものと違ったりすると、不安になったりもするし。
「私にとってはこれが正解なんで、私はそうします。」と、周りの人に伝えるのも、ドキドキな場合もあるし。
そんで、「自分で決める」という、「自分の選択に責任を持つ」という感じにちょっとひるんでしまったりもするし。

でも、どんなにいろいろ不安要素が並んでても、
やっぱり私にとっては「自分で発見する正解」がものすごい魅力的に見える。
そこに正直でいたいんだ!!!と思う。
多分、今までずっと(違和感を強く感じながらも)選択肢を他人にゆだねるやり方で生きてきたからねえ。

自己啓発プログラムのワークをやっていて
自分の深いところにある想いを掘り出していると、
長年「他人軸」で生きてきちゃったら、「自分にとっての正解」は、そう簡単には発見できないものなんだなあ、というのも痛感中。
なかなか大変だよ~~~~ん。
上から厚塗りしたらその分だけ、掘り出すのも大変なんだよね・・・。

だけど、掘ってく中で、少しずつ「自分自身の真実」というか、「おのれの正解」に近づいて行ってる感触もあって、
そのプロセス自体がすごく楽しかったりもするんです(大変な時もあるけど)。
時には「癒される」体験もあり、「うひょーー!」というオドロキヨロコビの瞬間もあり、「掘りつくしたと思ったのにまだだったか・・・!」とがっかりするようなこともあり。

「おのれの正解」は、一回見つけたらそれが不変の正解になるわけじゃなく、
その都度発見しなおしていくようなものなんだと思うんだけど、
その探求していくプロセスそのもののことを、
私は「prana dance」って呼んでるんだなあ、というところに、今はいます。

CIMG1757-2.jpg

category: ヨガのこと

tb: 0   cm: 0

クリパルヨガってどんなヨガ?③「気づき」  

クリパルでは、「ヨガをする」というその体験そのものをものすごく大切にしてる。

クラスを受けると、「今何が起きている?あなたは何を感じている?」という気づきを促される言葉が圧倒的に多い。
そこがまた、私がクリパルっていいな~と思うところのひとつでもあるんだけど。

例えば、私の好きなトリコナアーサナ(三角のポーズ)。
今何を感じてる?と自分に問いかけると・・・

足の裏に自分の重さが乗っているなあ、
いい感じで安定してるね、
脇がストレッチされてて、呼吸があばらのあたりを広げていく、
両腕を上下に広げると、すんごい気持ちいい、
あ、足の指にちょっと力みがあるわ、
そろそろ首がしんどくなってきたぞ、
上向いてるのきついから下向いちゃおっかな、
いやいや、これって逃げだよね、
ああ、反射的に下向いちまったぜ、
どうしていつもそこで頑張れないんだろうなあ、
バカバカ私!
いかん、ジャッジした、
呼吸に意識戻してみよう、
お!両腕になんかじんわりプラーナ通った感じ♪
あー、かなり集中してきた感じ、

・・・というようなことが、ものの数呼吸の間に展開されていくわけです(笑)。
(実際にはこんなにひとつひとつ言語化されているわけではないけど)

ちなみに、これが苦手なアーサナになると、またいろんな葛藤が生まれたりして大忙し。

ここで、その、ひとつひとつ感じることに「気づく」、というのがポイント。

アーサナが正しく美しくできるかどうか、ということよりも、
どのくらいマインドフル(起こることすべてに気づこうとする、集中した状態)でいられるか、ということが圧倒的に大事にされている。

この「気づいた状態」でいることを練習すると、
日常の中で無意識に自動的にやってしまっていることを「ん?ちょっと待てよ?」ととどまってみる選択肢が生まれる。

自動的な行動→気づく→意識的な行為を選択、という風に変化していくと、
日常の中で本当は自分が何を感じてて、何を必要としてるのかがわかってくる。

・・・とはいうものの、日々それを実践していくのはなかなか大変だなあ、と感じてますが。

それでも、「ああ、今自動的にやっちゃったな~」ということには気づけるようになってきた。
もう少し早めに気づいたら、その場で違う選択を試せるんだけど、
そこで違う選択をするのも結構勇気と勢いが必要だったりするのよね。

でも、それを丁寧にやっていくと、自分にとって心地いいものだけが周りにある、という状態を作れるんじゃないかなあ、と思っておりまする。
習慣的にやってるからとか、みんながそうするからとかで疑問無く続けていること、疑問があるけどスルーしてること、
そういうものから自由になったら楽しいと思うのねん♪

category: ヨガのこと

tb: 0   cm: 0

クリパルヨガってどんなヨガ?②プレスポイント  

「価値観を変革する」シリーズの途中で、新たなシリーズが始まる、という無謀(笑)。
というか、かなり前に書いた「クリパルヨガってどんなヨガ?」が①だけのままになってるのに気づいて、
ちょっと続きを書きたくなったのですが。

つーか、毎回毎回長文になってしまうのはちょっと考えねばなるまい。


さてさて。
私は「ヨガを学ぶ」という決意をした時に、どの流派を選ぼうか、かなり考えた。
もともと、ヨガってなに?ということも何も知らずにホットヨガのインストラクターになってしまったことからヨガの道を歩き始めて、
それでも、ヨガって、なんかすごい面白い気がする、ちゃんと学んでみたい、という思いが高まって。

当時は情報もそんなに無かったので、ヨガ雑誌とかを参考にしつつ、
きちんと学ぶことのできるいくつかの流派をピックアップして、クラスを体験していった。


クリパルと出会うきっかけとなったキーワードは「プレスポイント」。

プレスポイントは、クリパルヨガ的アーサナのコツ、といえる考え方で、
カラダの中心部分から末端の部分へ向けて、押し出すようにカラダを広げていく、という方法。

例えば、山のポーズ(タダーサナ)だったら、
中心である骨盤や背骨を感じつつ、足裏は大地の方へ、頭頂部は空の方へそれぞれ押し出す。
その方向性と部分をはっきりさせることで、ポーズがより広がり、整い、余分な力を入れずに済むので、
呼吸もプラーナも通りやすくなるし、ポーズも安定する、というとても便利な考え方。

ポイントは、「中心から押し出す」というところ。
押し出すチカラが始まる部分を「カラダの中心から」と意識することで、末端だけが妙に力んで、、、というようなことにならずに済む。と私は思う。

中心から末端へ、を意識しながらポーズをとる、というのは、
決まった型にはめるのではなく、
バランスのいい場所をさぐりながら広がっていくようなイメージ。
植物が根を伸ばし、芽を出し、葉を広げて、というような。


が、
カラダの部分と方向性、というのは意外と思い込みに支配されている部分も多くて、
例えば頭頂部を上へ、と言った時、割とあごがあがって上を向いていく人が多かったりもする。

私自身も、股関節の正しい位置を実感として知ったのは最近だし(笑)。

その思い込みが無理なチカラや力みを生んでしまう場合もあるから、
そこは二人一組のワークとかってとっても役立ったりする。
他者からの視点が助けになる、というか。

クリパルのWSは結構このグループワークが登場する。
そして、そこで体験したことをシェアリングによってみんなと分かち合う、というのもクリパル的手法。
他の人の体験や視点を聴く、というのは、自分の世界を広げてくれるので、とても面白いのです。

シェアリングとかコミュニケーション自体も、これがまた私の人生において、すごい変化をもたらしてくれた要素でもある。
これも、また別のエントリーで書きたいと思います。


プレスポイントがきっかけとなって、結局今はクリパルヨガを伝える、という立場にいるわけだけど、
今となっては、クリパルを最初に選んだ私の目は確かだったなあ。

クリパルがいいとか悪いとかじゃなく、私に合ってる、という意味で。
まんまと人生ががらっと変わったのでありました。


ちなみに、プレスポイントについては、DVDも出ております。
私持ってない(笑)けど。↓
DVD 『シンプルに深めるヨガ~クリパルヨガのプレスポイント~』


CIMG1664-2.jpg
チャオさんとの出会いも、確実に私の人生を変えている。。。

category: ヨガのこと

tb: 0   cm: 0