TT前半終了!
クシャナでのTT、昨日で5日間の集中講座を終えて前半が終了!といったあたり。
いやあ、、、かなり濃い〜〜〜5日間でした。
やっぱり週2日のペースの通常の講座とは全然違うエネルギーになるもんなんだなあ。
カラダにもココロにもいろんなことが起こってた気がする。
毎日毎日、アシスタントとしてこの場面で自分はどうするべきか、何を言って何を言わないでおくのが最善なのか、いろんなことを考えながら、
自分自身が学ぶとことも、
自分自身がヨガを体験することも、
満喫した5日間。
楽しかった〜〜〜!!
なんならもっと長くてもよかったくらいだわ(と今だから言えるのかもしれないですが・笑)。
今思い返すと、自分のヨガの体験としては一番印象に残ってるのは朝のプラクティス。
毎朝3時間ヨガのプラクティスがあるんですが、まずそこでおのれの普段の練習不足を痛感。
特に初日はかなりキツかった・・・。情けない。
ひとつひとつのアーサナを4呼吸程度ホールドするんだけど、その「4呼吸」という縛りによっていろんなこと
が起こってた。
4呼吸が長ーーーく感じられるものもあるんだけど、
逆に4呼吸のうちにアーサナの安定するちょうどいいところが見つけられないこともあり、
もっともっとここにいて起こることを見てたい!と感じることもあり。
その4呼吸じゃ足りないと感じた時に自分のエゴや思いグセに気づく。
納得しないと先に進みたくない、混乱したままそれを受け止めておくことに居心地の悪さを感じる、という思い。
そこに気づいてもそのことについて何かを考え始めたらもう次の一瞬に後れをとってしまうから、気づいたそばからスルーしていくしかない。
それをただただ繰り返していくことはなんだかすごくいい体験だったなあ。
アシスタントとしては、クリパルのTTのアシスタントをさせてもらってた経験がものすごい活かされてる。本当に貴重な経験をさせてもらってたんだな〜としみじみ思う一方で、私自身のヨガの体験があまりにも足りない・・・と思わされる場面もたくさん。
でも今こんな未熟な私でありながらTTにがっつりと関わらせてもらえてるということがホントに幸運だなと。
そしてどんなTTでもそれぞれの生徒さんに必要な気づきは起こり、変革が起こっていくことを目の当たりにするとやっぱり人ってすごいな・・・と単純にすごく感動します。
後半も引き続きフルパワーで満喫していくのだ!!
全粒粉のスコーン
窓辺のレモンゼラニウムの枝が伸びて大変なことになっていたので、ちょっと剪定。
で、レモンゼラニウム入りのスコーンを作ってみました!

写真では全然見えてないけど入ってるんです(笑)。
生の葉っぱは結構硬くて、これ大丈夫かいな・・・と思ったものの、火を通したらその存在感は全然無くなってほのかなレモンの香りがいい感じに。
全粒粉で作ったので噛めば噛むほどに自然な甘さが。
最近こういうものがものすごく好き。
昼ごはんは硬いパンとかクラッカーみたいなものばっかり食べてる。
相変わらずいちかばちかのおやつ作り(笑)。
このテキトー感が楽しいのねん。
ヨモギもやわらかそうな葉っぱがたくさん出てきたので来週はヨモギ白玉だな♪
窓辺もいろんなものがぐいぐい生えてきて春満開になってきております〜。
siva raja yoga
ksanaでのTTが始まってすでに2か月近くが経過。
すごい寒い日々だったのに、すっかりすみれも咲いちゃう季節に。

早っ!!
TTの時っていつも思うけど、最初のうちは先が長ーーーーーーーく感じられて気が遠くなるんだけど、半分を過ぎるか過ぎないかあたりから時間の経過の仕方が変わるというか、結局あっという間に終わってしまう感じになるんだよねえ。
TT生のみなさんが凝縮した濃い時間を過ごせるように私もできる限りのことを精一杯やらんと!
TTでのひとつひとつの体験が、今だけでなくこの後の人生でも大きな要素になることを身をもって知ってるだけに自分自身のその場への参加の仕方、距離の取り方、やるべきこと、できること、毎週毎回懸命に探ってる。
で、同時にこのTTは私自身がsiva raja yogaという流派を学ぶためのTTでもあり、
siva raja yogaのTTを学ぶための時間でもある。
TTの進行のやり方、ひとつひとつのアーサナのアライメント、、、、当たり前だけど、私が知っている唯一のTTであるクリパルTTとの間にはいろんな違いがある。
でもその小さな差異にとらわれてしまうと本質を見失ってしまう。
どんな進行の仕方でも流派でもヨガを学ぶ人たちには自分自身と向き合わざるを得ない時間が待っていて、起こることは起こるべくしてちゃんと起こってくるんだなあ、という感じもあり、誰が、とかどの流派が、とか言うのはおこがましいのかもしれないと思えてくる。
昔から脈々と受け継がれてきたもの=ヨガにはやっぱりそのもの自体に力がある、ということなんだろうな〜。
今の時点で確実に言えることは、身体感覚を探ることに大きな喜びを感じる私にとって、siva raja yogaはかなり興味深いヨガであるということ。
まだまだ勉強中で、その奥の部分が見えたというにはまだまだまだまだ全然足りないんだけど。
相当カラダココロオドル感じなのですな〜〜〜♪
カラダを持つ存在として、人として生まれてきたからにはやっぱりそこにあるものを隅から隅まで感じて味わって生きていきたい、という思いがもりもりと盛り上がる。
私の中でもまた変革や統合が始まるんだなあ。
何度通ってもその都度新たな学びがある道。
関わらせてもらえることに感謝!
久々横浜散歩
ここのところブログやフェイスブックから遠ざかってた。
ブログやフェイスブックでみんなの日々の暮らしや意識を見ることでやっぱり何かしら伝わってきて感情は動く。
ブログを書くことで自分の思いや大事にしたいことがくっきりすることもある。
でも画面から伝わってくることはあくまでも画面から伝わってくる以上のものではないよなあ、と思う。
画面の前にいるよりも実際に足を運んでカラダで体感する時間をやっぱり大事にしたい。
だから、というわけでもないですが、久しぶりにオフの時間が多めにとれたので相方と横浜散歩に行ってきた。
お花見も兼ねて石川町から元町→山下公園→中華街、という観光客仕様のコース。
お花見第1弾は元町の裏道にある厳島神社。
大きく腕を広げたような枝が見事な桜でした。
春の気である『木』の、のびのびと好きなように広がるエネルギー、というのはこういうことを指すんだなあ、と。
見てると思わずこっちものびのびしてきて深呼吸したくなるような。

しかし、写真にとると実物よりも全然魅力的な感じが伝わってこないのはいかがなものか。写真の腕前とかセンスの問題なんでしょうけど(涙)。
元町裏道から汐汲坂へ入りお気に入りの汐汲坂ガーデンへ。
道路に面した建物の入り口から中庭のテラス席へ抜ける店の様子がなぜだかすごくわくわくする。
そして変にこじゃれてない、ほどよく年季が入ってる感じがとても好き。
緑に囲まれたうっそうとした湿った空気と差し込む日差し。
緊張感無くのーーんびりできる空間。
夏場は蚊の攻撃にあいますが、昨日はいい感じにあったかくてテラスが本当に気持ちよかったーー!
気付けばすごい長居してしまった。。。
犬好きの相方はわんこ連れの方が入ってくるたびにわんこにちょっかいだしまくって遊んでもらってました。
近所のかわいこちゃんもやってきた☆

お花見第2弾は元町公園の桜。
こちらは群舞状態でした。

うーむ。やっぱり実物より全然魅力的じゃない・・・。
元町公園や、隣接している外人墓地にも桜がいっぱい。森が霞んでるみたいだった。こんなに桜があったとは知らなかったわ。
これだけあって一斉に散ってると本当に吹雪、という感じでものすごく幻想的。
その吹雪の中にたたずんでるだけでとても気持ちがいい。
元町公園を抜け、山下公園へ。
海辺なので少し風が強め。でも、充分くつろげる気温て素敵だーーー!
ちょうど花粉ももう治まってきて絶好の散歩日和だーーー!
ベンチに座っておやつをもぐもぐしたり、ただぼーーーんやり、海を眺めたり船を眺めたりすずめを眺めたり。
特にどうってこともない時間なんだけど、それはもう至福!
外で過ごすことがこんなに気持ちいいってことは、この時間をすごく必要としてたってことなんだろうなあ。
○○が無い、ということを理由に何かをあきらめたりするのはやめようとつい先日思ったばかりだけど、こういうぽかーーんとした時間を丁寧に味わうことを私は求めてるんだなあと再確認。

海の色もなんだか春っぽい気がする。
山下公園で思う存分ぼーっとした後はやっぱり中華街に行かないわけにはいきません。
そしてお花見第3弾は山下町公園。

写真下手の挙句の果てにピンボケだし(笑)。
夜桜越しの媽祖廟。
しつこいようですが実際はもっと綺麗だったんだーー!
花見の後はかねてからずーーっと気になっていた中華街香港路のお粥屋さん・安記へ。
長らく香港に行っていないので久しぶりに広東粥を食べたかったのだ♪
油條(お粥に浸けて食べる揚げパン的なもの)が売り切れていたのが残念すぎましたが、お粥は本当に美味しかった!お腹に染み入る感じ♪
お供にいただいた切鶏(蒸し鶏)と皮蛋、アスパラの酢漬けの組み合わせも我ながらバランス絶妙のコンビネーション。
特にこの切鶏はお店の方も自信のひと品だそうです。
しっかりとした歯ごたえで、噛めば噛むほど味のある鶏肉。ネギ油+醤油+白髪ねぎのタレにつけてもよし、何もつけずに味わってもよし。
お粥もだけど、味付けはすごく薄味。でも旨味が濃い。
丁寧に作られたものを丁寧に味わって食べるとやっぱり満足感が全然違う。
本当に美味しかった!ごちそうさまでした!
お散歩を満喫して帰った後は家で香港映画鑑賞会(笑)。
お休みをこれでもかと楽しんだ1日。
面白かった!
ブロッコリーの本来の姿
去年の冬だったか「ブロッコリースプラウト」の種を窓辺のプランターに巻いてみた。
多分「スプラウト」とわざわざ名づけられているので、芽が出たばかりの葉っぱをいただくための種だったんだろうな、と思うんだけど。
もしかしてこのまま育ててみたら立派なブロッコリーになるかもしれない、という期待がうっすらとあったので丈夫そうなコを残してそのまま放置してた。
でもいつまでたっても見慣れたブロッコリーにはならず葉っぱが伸びていくばかりだったのですが、、、
気付いたらちっちゃなブロッコリーが!
あまりに小っちゃすぎて食べるのがかわいそうになり(笑)、そのまま行方を見守ること数日、、、

花が咲きました!(手前はまだ「ブロッコリー」状態のコ)
寄ってみた。

はっとするような爽やかな黄色。こんなきれいな花が咲くものだったのか。初めて見た気がする。
八百屋で買ってきたブロッコリーを全部花咲かせてみたい・・・という新たな野望(?)が生まれてしまった(笑)。
その一瞬に在る
「今日はいいクラスができたなあ!」という感覚が生まれる時、逆に「ダメダメだったわ・・・」と感じる時、
毎日クラスをやっているとその手ごたえはいろいろ。
「いいクラスだった」と(あくまでも自分自身が)感じる時にどんなことが起こっているのかは自分自身でわかってるんだけど、言葉ではうまく表現できない。
あえて私にしか通じない言葉で言うなら「場が満ちる」感じが生まれた時、かなあ。
そこには私だけの力ではなくそこに集まった人たちのエネルギーが当然関わっているわけですが、
何がどうなったらみんなでそこに行けるのか手順がはっきりしてるわけでもないので、その状態に持っていくための方法論みたいなものは私の中で確立されてるわけじゃない。
なので、毎回のクラスがどう転んでいくか一瞬一瞬真剣勝負で、特に動きの多いクラスであればあるほど綱渡りというか、張りつめた状態でクラスに臨まなくちゃいけない、というか、、、(情けないですが)毎度余裕が無いギリギリ状態。
ヨガを教え始めて間もないわけでもないのにこの余裕の無さは毎度変わらずにある。
そして余裕が無いと保険をかけておきたくなる。
クラスの流れ、ひとつひとつのポーズ、、、心配が多いほど細かくぎっちりとプランを詰め込んでしまったりもする。
それは意図をはっきりさせるために持ったプランとかいうものではなく、完全に保険。
でも、実際にクラスをやった時の手ごたえとしてはそのプランをばっさりと手放してしまった時の方が「よし!」って感じが生まれる。
結局紙の上で練ったプランと向き合うのではなく、その時その場所に集まった人たちのエネルギーの変化を感じながらそこに一瞬一瞬向き合ってクラスをやる、ということが大事、ということなんだけど。
「生徒をよく見て」ということはクリパルのTTでもクシャナでのTTでもことあるごとに何度も言われてること。
それはわかってるんだけど。
ティーチングの経験を重ねるごとにその意味合いが深くなってくる気がする。
「どうなってしまうかわからない」という不安、「集まってくれた人たちからいい評価をもらいたい」とか「あの時味わったあの手ごたえを今日も味わいたい」という欲、自分への自信の無さから来る怖れ、なんだかわけのわからない大げさな覚悟。
ダンスをやってた時の本番の舞台に臨む心理状態と同じなんだよな〜。
これは、無意識に繰り返し続けたことで刷り込まれたクセなのかもしれない。
「いいクラスだった!」という手ごたえと「今日はいい踊りができた!」という手ごたえは全く同じものなので、そのことがさらにそのクセから離れられなくしてるのかも。
でも今は「そんな自分自身に気づく」「そこでリラックスする」ということができる(はず)。
そこから何か始まるものがある(はず)。
少しずつそこから卒業していきたいもんだ。。。
感謝をする練習
クシャナでのTT、こないだのテーマは「太陽礼拝」。
ヨガを教えられるようになるためのトレーニングなので、当然そのひとつひとつのアーサナのアライメントや全体の流れについて細かく解説。
そして「太陽礼拝」そのものの意味を学ぶ。
太陽礼拝=太陽への礼拝。
「太陽」というのはもちろん太陽を指すわけでもあるけど、そこからもう一つ意味を広げていく。
もともとそこにそれが整っているから私たちは生まれてくることができて、そしていつも当たり前にそこにあってくれるもの。とか、
私たちが「普通」だと思っている毎日がたくさんのいろいろな存在に支えられているということ。とか、
身近にいて支えてくれる家族や大切な人たち。とか、
私たちが逆らうことの出来ない大きなもの、自然の摂理。とか、、、
そこに感謝をする、ということ。
太陽礼拝は、太陽を仰ぎ→感謝をあらわす、というカラダの動きの繰り返しでできている。
その「感謝をあらわす」の部分で本当に「感謝」の気持ちを持つようにリードされながら動いてみたけど、、、
私はそこで実感として「感謝」を感じることは正直できなかった。
というか、「感謝」ってどんな感情でしたっけ???みたいな。
そういや、いつも「ありがとう!」と言っている時、本当に私の中には「感謝」が存在しているのか?!
アーサナによってカラダやココロを強くしなやかにする練習をしたり、瞑想するときにココロを鎮める練習をするように、「感謝」というココロの動きも練習が必要、というのはちょっと目からウロコ、というか、ほほお!!と思った瞬間だった。
そこに感謝をするところから「逆らうことのできない大きなもの」に委ねることを学ぶ。
「感謝する練習」を重ねて、太陽礼拝の中で実感として感謝を感じられるようになった時、どんな変革が起こるんだろう??
とてもとても興味がある。それを体験してみたい。
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